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あずみ歴史

昭和20年代後半 長野県松本市で先代故池田慶二郎は「池田屋」という名前の和菓子店を営んでいた。

昭和30年代半ば 内藤翁と出会い蕎麦打ちを習う。信州内藤流手打ち蕎麦として「池田屋」は和菓子屋から蕎麦屋になる。

昭和39年9月 池田三四郎氏の案内でバーナード・リーチ氏、浜田庄司氏らとともに大原總一郎氏が始めて「池田屋」に来店される。

昭和39年10月 東京オリンピック開催。

昭和41年6月8日 大原總一郎氏のご好意で、倉敷の現在の場所に移転。店名は「池田屋」改め、信州の地名「安曇野」から「あずみ」と名づけていただく。

---------当時、倉敷川周辺は閑散としていた。美術館や民芸館はあったが、観光客は少なく、大原美術舘裏に国際ホテルができたばかりであった。
  付近の店も、これも大原氏が命名した美術館隣の喫茶店「エル・グレコ」、「あず み」の隣の割烹「新川(現在は「花織」)、向かいの割烹「かき増(現在は場所が変わって「旅館くらしき」)」、その左手の果物店「佐野屋」、緑御殿の隣の「鴨井すし 店」くらいなものであった。
  「あずみ」も大原さんが呼んだ蕎麦屋と珍しがられたが、元々倉敷はうどんどころで蕎麦への馴染は少なかった。

 内藤流というのは、先代故池田の師内藤翁が古くより信州に伝わった「そば打ち」の技法を再興した独特の近代そばの打法であったが、店に入った正面にガラス張りのそば打ち場を作りお客にも公開した。
  店内は民芸風にし、浜田庄司氏の色紙なども掛けたが、何分小さい長屋の一軒を改造したもので、二十人も入れば満員となった。----------
(平成8年発行 守屋 清氏:著・発行 「かにかくに 第八編 続々平成太平記」より 抜粋・補足させて頂きました。)

昭和43年7月27日 大原總一郎氏逝去。58歳。

昭和47年3月 山陽新幹線 岡山まで開通。

昭和63年4月 瀬戸大橋開通。

平成7年1月17日 阪神・淡路大震災。

平成8年 「あずみ」改装工事。席数が50席になる。

平成12年11月 大原美術館開館 70周年。

平成15年 待合い席を作る。席数は42席に。

平成21年7月 大原總一郎氏 生誕100年

蔵書

蔵書

あずみの蔵書の一部を店内に置いております。
大原總一郎氏の著書もございます。

 

 

倉敷の冬
雪の倉敷

倉敷は瀬戸内海の温暖な気候に恵まれてますので、冬に雪が積もる事は珍しいのですが、雪化粧の倉敷はとても風情があります。

 

 

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